人生100年時代を生きるために必要な人的資本とは
最近、人的資本としての自分自身は、どうあるべきかを考えております。
人的資本とは、簡単に言うと、個人の稼ぐ力。
つまり、私自身が稼ぐ力をつけるにはどの様にすれば良いのか。
稼ぐ力とは、どの様なものなのか。
そんなことを思案している訳です。
そんな時、山崎元さんの記事が目に留まりました。
詳細は、記事をご覧になっていただきたいのですが、私は記事を読んで以下の様にツイートしました。
山崎元さんが、人的資本に関して考察されたもの。
— NgtRPT (@NgtRpt) 2019年1月22日
興味深い点があったので、記録としてツイート。
【働くスキルと機会、そして健康と働く意欲の確保は、高齢期にあって大変重要だ。】
という一文に、深く合点がいくのでした。 https://t.co/AISZSuklBI
山崎元さんが、人的資本に関して考察されたもの。
興味深い点があったので、記録としてツイート。【働くスキルと機会、そして健康と働く意欲の確保は、高齢期にあって大変重要だ。】
という一文に、深く合点がいくのでした。
この時は、この一文に感じるものがあったのですが、考え直してみると、どれも大事であるが、さらに優先順位がある様に思われました。
その点に関して深めていこうと思います。
まず、「働くスキルと機会」と「健康と働く意欲」は、それぞれがセットである様に思われました。
「働くスキルと機会」
そこで、まず「働くスキルと機会」に関して考えます。
働くスキルの有無と働く機会の有無に関して、場面を分けます。
つまり、以下の4つのパターンが考えられるかと思われます。
- 「スキル有り・機会有り」
- 「スキル無し・機会有り」
- 「スキル無し・機会無し」
- 「スキル有り・機会無し」
1は、両方持ち合わせているので、何も問題ありません。
3の様に両方無い場合は、どちらかは必要となりますが、ではどちらが優先度が高いでしょうか。
その問いに対して、2と4の場合を考えると答えが出るように思われます。
一般的には、人的資本として自らの稼ぐ力を向上させようとするなら、働くスキルを身につけることを考えます。
その場合、4のパターンが優先度が高いと思われますが、一方でスキルを発揮する機会が無ければ、そのスキルは存在しないも同然です。
せっかく身につけたスキルも、まるで意味がないのでは無いでしょうか。
ですから、優先順位としては、まず働く機会を持とうとすることが必要だと言えるかと思われます。
ここで、「イヤイヤ待て待て、そもそもスキルが無ければ、働く機会すら持てないんじゃ無いの??」と言った声が聞こえてきそうです。
私もそう思います。
でも、よく考えると、働くスキルを身につけるよりも、働く機会を模索することの方を優先すべきなのではないか…。
何故なら、「働く機会」を持とうとすることとは、相手が自分に何を求めているかを、考えることになるから。
闇雲にスキルを磨くことで、結果的に働く機会を持つこともあるかもしれません。
しかし、確実性を高めるのであれば、市場調査は必要でありますし、その方が結果的に多く稼げるはずです。
それはまた、言い換えると社会との接点を持つことであるとも言え、社会資本を手にすることである、とも言い換えられるのではないか。
そして、相手が何を望んでいるかを考える事とは、マーケティングでもあるため、マーケティングスキルを高めることともなります。
つまり、逆説的ではありますが、人的資本を高めるためには、社会資本を持とうとすることが、結果的に人的資本をも高め得る、と言えそうです。
「健康と働く意欲」
次に「健康と働く意欲」に関して同様に考えます。
- 「健康で意欲が有る」
- 「不健康で意欲が有る」
- 「不健康で意欲が無い」
- 「健康で意欲が無い」
両者の伴う1は、問題ありません。
両者の無い3の場合、どちらを優先するか。
これに関しては、論ずるまでもなく「健康」と私は考えます。
基本的に人は、行動することによりヤル気が引き出されると脳科学でも言われています。
例えば、仕事の課題に対してヤル気が出ない場合においても、まず行動し、身体を動かすことにより、後からヤル気はついてくるとのこと。
ですので、まず身体の健康ありきです。
とはいえ、風邪をひいても気力で乗り切る、みたいな昭和的な仕事への取り組み方もあるでしょう。
それも大事な時はあります。
でも、長続きはしません。
しかも、今回のように「人生100年時代を生きるために」という論点からすれば、長期的な視点で語った方が良いかなと思うので。
まとめ
今回、私はこのように考えることで個人的な気づきがありました。
それは、あまりに仕事に対して独善的な取り組み方をしていたのかもしれないということ。
つまり、スキルを高めることばかり考えていたなと自覚しました。
具体的な例を挙げるならば、「呼吸療法認定士」の認定を受けたことは、コレにあたるでしょうか。
現在の職場で、この認定を受けていることが収入に直結したり、評価が伴うことはありません。
実は、対象となる患者さんも現在の職場では、あまりいらっしゃいません。
もちろん、認定を受けるために学んだことは有益であると思いますが、職場のニーズに沿っていたかと考えると疑問です。
相手が、自分に何を求めているかを考えていたかどうか。
仕事をするうえで、「相手」は無数に存在します。
例えば、私は理学療法士で、まず仕事の対象としては患者さんや利用者さんが思い浮かびますが、視野を広げれば他にも沢山いるわけです。
- 医者
- 同僚
- 他職種
- 家族
- 保険制度
ザっと思いつくだけでも、これだけの仕事相手がいます。
もしかしたら、自分自身の家族すらもそうかもしれません。
こうした人たちの、思いや願いを汲み取って、仕事としての成果を考える。
この様な視点が欠けていたと自戒しました。
すでに、こうした視点をもって働いている方には意味がないかもしれませんが、今回の考察は私には意義あるものでした。
また、マーケティングにも興味が湧いてきたので、手始めに以下の入門書を読んでみようと思うのでした。