【読書】幸せになるための3つの条件【幸福の「資本」論――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」 Kindle版】
幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」を読みました。
Amazon内容紹介より
作家であり、社会評論家でもある橘玲氏の集大成ともいえる内容で、初めて「ひとの幸せ」について真正面から取り組んでいます。
幸福であることを条件づけるものは、「自由」「自己表現」「共同体=絆」の3つである。
橘氏は、「幸福」は、しっかりした土台の上に設計するべしとし、その人生の「インフラストラクチャー」を前述の3つに対応させて、以下に求めます。
「金融資産(資本)」「人的資本」「社会資本」。
この3つの資本の組み合わせによって生まれる「人生の8パターン」によって、すべてのひとびとの「幸福」のカタチが説明できるとしています。社会資本(中学からの友達ネットワーク)しかない田舎のマイドルヤンキーは、「プア充」。「友だちネットワーク」から排除されるとたちまち3つとも持っていない「貧困」に陥る。金融資産がなくても、高収入を得られる職業につき、友だちや恋人がいれば、人的資本と社会資本を持っている「リア充」。人的資本と金融資産があって社会資本がないのは、「金持ち」の典型、という具合。3つの資本をすべてそろえることは難しいが、せめて2つをそろえれば「幸福」といえる状態になるのではないか。では、どうすれば2つをそろえることができるのか…、そして「幸福」になれるのか、3つの資本を解説しながらその答えを追いかけます。
最近、自らの幸せとはなんぞや、と思うことがあり手掛かりを探すべく読んでみました。
個人的には納得できるものでありました。
求めていたものが書かれていたと思います。
今後、私が自身の人生をデザインするうえで、書かれていたことを何度も思い返すことでしょう。
備忘録も兼ねて、まとめてみたいと思いますが、各項目が内容が濃く、論理展開が複雑であるため、複数回に分けてまとめていきます。
まずはプロローグから。
奇跡的で幸運な私
まず橘氏は、今現在、この本を読むことができている私自身の存在そのものが奇跡的であることを説きます。
それは、私の祖父母が結婚し、さらに私の両親が結婚し…という極ありふれた理屈ではありますが。
また、
いまの日本に生まれたことが最大の幸運
であると述べられており、現代日本は、
下を見ればきりがないが、上を見上げれば、すぐそこに天井がある
社会でもあると。
確かに書かれている通り、これまでの歴史の変遷を振り返ると、身分や家柄に過度に制約を受けることなく生活することができています。
また、諸外国のニュースをみるにつけ、日々の衣食住にも困り、基本的人権すら保障されない国々がいまだ存在することを思えば、下はきりがありません。
加えて、いわゆる幸福とされる北欧の国々の在り方を思うと、社会の成熟度の天井は見えているかのようです。
そのような奇跡と幸運を活かして、幸福をいかに作り上げていくかということが書かれていました。
幸福になるための条件
橘氏は、幸福は人それぞれで、定義困難であるものの、家の様であると例えます。
そして、しっかりとした家を建てるには土台作りが必要であるとし、幸せになるための基礎となる項目を挙げます。
それは、
- 自由 = 金融資産
- 自己実現 = 人的資本
- 共同体=絆 = 社会資本
の3つです。
人生設計の目的は、この資産・資本の運用環境を最適化し、より効率的に大きな「富と幸福」を創造するコトと説くのです。
幸福になるための8つのパターン
以下に、「金融資産」「人的資本」「社会資本」の組み合わせのパターンを表にします。
金融資産 | 人的資本 | 社会資本 | |
超充 | 〇 | 〇 | 〇 |
お金持ち | 〇 | 〇 | × |
旦那 | 〇 | × | 〇 |
リア充 | × | 〇 | 〇 |
退職者 | 〇 | × | × |
ソロ充 | × | 〇 | × |
プア充 | × | × | 〇 |
貧困 | × | × | × |
3要素すべてを揃えた満たされた人を、橘氏は「超充」と仮に命名しますが、そうした人は稀であるとしています。
すべての要素を欠いた人々を「貧困」とし、実例を挙げておりますが、シビアな世界で悲惨な現実が描かれており衝撃でした。
そのため、1つの資本しか持たない場合、それを失ってしまうことは、すぐに「貧困」に陥るリスクを抱えているコトになるのです。
3つの要素のうち、2つは獲得しておくことが、自らの幸福を手に入れる条件であるとして、各論に移っていくのでした。
まとめ
ここまでは、Amazonの内容紹介の通りです。
私には、幸福になるための条件を3つと限定され、その組み合わせのパターンを例示されたことで、頭の中が整理されました。
橘氏の例示したパターンにおいては、3つの資本が棒グラフのようになっていて、表にしたように、資本が有るか無いかで示されていました。
ただ、私は思うのですが、一般的な人に当てはめた場合、現実的にはレーダーチャートのように、それぞれが全方位的に広がりを持っているではないでしょうか。
または円グラフのように各要素が割合を変化させながら総和として幸せの条件の総量が決まるのでは無いかと思います。
例えば、リア充とされる人の中にも金融資産を持っている方もいるはずですし、退職者とされる人にも社会資本を持っている方もいるでしょう。
読者に分かりやすく例示するために、棒グラフのような表示の仕方をしたのでしょうし、社会資本と金融資産は共存しないとする理由ものちに述べられていましたが。
こうした考え方をもとに考えると、少なくとも、私の身においては、これらの3つの資本が優位に飛び抜けていたり、欠けていることはないのではないかと思われました。
幸いなことに、それぞれがソコソコ存在するという状況。
おそらく、これから先、人生が進むにつれて、それぞれの資本がバランスを変えていくこととなるのだと思われます。
「超充」とは言わないまでも、3つの資本それぞれが質・量ともに最適化され、幸福であるための礎をしっかりと築いていくことが、私のこれからの人生に求められるのだろうと考えました。
しかし、一方で私は、物足りなさを感じています。
おそらくソコソコであることが一つの原因でしょう。
これから先々に渡って、これらの条件が充たされた状態が続くのかどうか。
恵まれているとは言え、何かが足りていない想い。
こうした欠落した想いを抱えていることを自覚したうえで、各論を読みすすめていくこととします。